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 人々の交錯する思惑が、陰謀が、静かに敵の名を語ることもなく進みゆく。
 全てが予定通りうまくいき、靖共の口元が片方だけ激しく持ち上がる。人が全て駒のようだった。何もかも、手のひらの上でおもしろいくらい転がっていく。
もうすぐだ。これからも万事うまくいく。だって。

王宮の中に自分以外に…とても優秀な共謀者がいるということは誰も知らない。

 時が流れる。光が消える。靖共はどす黒く嗤う。そのことを、その時赤髪の少女王は――――――まだ知らない。

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 風が切られる音がする。

 慶国の演習場では、一人の男が槍を振るう。
 重たい音を響かせて、分厚い槍の刃先が空を切る。静かに汗が流れる中、豪槍は片腕で槍を回転させ刃先を振るう。
(…まだまだだ…)
 自分の戦闘の際に理想とする型は、もっとキレがある。大嫌いな上官のことを思い出しながら豪槍が槍を握る腕に力を込めた時、彼に向かって豪快な声が投げかけられた。
「よう。豪槍」
 ビタリ、と彼は動きを止める。
 顔を上げれば、そこには豪槍が認めるくらい体躯の良いよく日に焼けた肌を持つ男が笑っていた。見慣れた顔に、豪槍は思わず呟く。
「虎嘯…」
「稽古か、ご苦労だな」
 にっと笑った彼は豪槍に水筒を投げる。空中に舞った水筒を、豪槍は片手で掴んだ。
「…何の用だ」
「お前の顔が見たくなってな。最近稽古に励んでいるって噂は本当だったみたいだな」
 豪槍はフンと顔を逸らす。無愛想だがこれでも彼にしては遥かに機嫌がいい方だ。
「あと聞いたぞ。お前最近、俺の友人の陽子と手合わせをしてくれてるんだって?あいつも無愛想な部分があるところとか、どこかお前に似てるよな。どうだ、あいつは良い奴だろ?」

 ピタリと陽子の名が出た瞬間、豪槍の動きが止まる。

 豪槍の顔には読み取れない表情が散っていた。
「別に…お前には関係ないだろう」
 虎嘯は目を丸くする。豪槍から言外の何かを察知した彼は、もうそれ以上は追求しなかった。虎嘯はバリバリと頭を掻く。少しだけ、その顔に陰りがあることを豪槍は気づかないフリをしながら見抜いていた。
「なぁ豪槍」
「…何だ」
「例えば。…例えばだ。親友がある決断をしようとしていたとする。その決断が、お前にとってそいつのために許したくないものだったら…お前はどうする」
「…どうするもこうするも…そいつが何をしようがそいつの勝手だ。結局介入できねぇよ。 だがやれるだけやってみる。そんなに強情な奴なら、俺だったらとりあえず…」
「お前だったら?」
「殴る」
 フンと鼻を鳴らした豪槍に、虎嘯はポカンと目を瞬く。次の瞬間、虎嘯は豪快に腹を抱えて笑い始めた。
「はは!お前らしいな。そうだな。本当に止めたいのなら、最後はそれくらい単純でもいいのかもな。…やっぱりお前に言ってみて良かったよ。…ところでお前いつ暇だ、豪槍。また飯に行こう、下でいい店を見つけたんだ」
「…また行くのか。今月これで何回目だ」
「いいじゃないか!」
虎嘯は笑う。豪槍は、ちらりと虎嘯を見ると顔を背ける。
「…――三日後」
 ぼそりとつぶやかれた言葉は、虎嘯にまで届かず、彼は眉を思いっきり寄せる。
「ん?おい分からんぞ豪槍、もっとはっきり言えお前らしくもない!もう一度!!もっとでかい声でだ!!!いつもみたいに噛み付くように!!!ほら!!!!」
「やかましいわ!!!…三日後なら行ってやってもいいっつってんのが聞こえないのか貴様ァ!!!」
「よし、三日後の夕餉だな!またな豪槍!」
 吠えた豪槍に虎嘯は豪快に笑った。いつもの明るさが表情に戻り手を振って去っていく。最近虎嘯が豪槍の元に来るときは、何故か彼が柄にもなく悩んでいる時が多かった。
豪槍にとっても、蓮皇たち以外友人らしい友人などいたことのなかった彼が、誰かと食事など今まで考えられなかったことだ。悪態をついたりしながらも、虎嘯と話している時叩き込まれている眉間の皺をゆるめていることには豪槍自身気がついていない。

 彼自身決して認めないだろうが、蓮皇が指摘するように、結局彼は虎嘯に人として好感を抱いているのだ。

 少しだけ機嫌が良くなった豪槍は、もう一度稽古の続きをしようと槍を握る。だがその時、背後から走った気配に豪槍は息をつく。またこちらに人の足が戻ってきた気配だった。忘れやすい虎嘯の性質を思いだし、豪槍は振り返る。
「何だ…まだ何か言い忘れたことでも…」
 だが振り向きながら言いかけて、豪槍はピタリと動きを止める。虎嘯ではない。


 そこにいたのは、真剣な表情でこちらを見上げる赤髪の少女だった。


「…陽子」
 思わず豪槍は呟く。だが次の瞬間彼は、即座に目の前の少女に背を向ける。少女を引き離すように歩き始めた彼の腕を、陽子の手のひらが掴んだ。
「!待て!!豪槍!!」
「何の用だ。稽古なら…」
 言いかけたその時、陽子の鋭い声が走る。
「違う!今日は…もっと真剣な話をしにきたんだ!」
 しん、と一瞬風が音を失くす。動きを止める豪槍を、陽子の真剣な瞳が見つめる。豪槍は横を向いたま呟く。
「…何だ、それは」
 豪槍以外誰にも聞き取れないような、囁くような声がした。

「この国の秘密を探るのを…手伝って欲しい」

 するりと豪槍の鋭い夕焼け色の瞳が陽子をとらえる。
「どういう意味だ」
「今のこの国は、あまりにも不可解なことが多すぎる。恐らく…国を影で操ろうとしている見えない敵が潜んでいる。私一人ではとても真相にたどり着けない。…協力して欲しい」
 その言葉に、豪槍は表情を動かさないまま囁いた。
「…何故俺に頼む」
「宮中に昔からいるものでは駄目なんだ。既に王宮内のどこにいるかわからない敵に懐柔されているかもしれない人物じゃ。私が知る確実に敵に懐柔されていない人間は…私たちが王宮に召し上げられた後に来た…今期の新入文官、武官しかいない。その中でもお前に頼むのは」
 私がお前を信頼しているから。その言葉に、豪槍の表情が歪む。地面を睨みつけるように彼は吐き捨てる。
「…霖雪の野郎のところに行け」
 陽子の言葉が出る前に、豪槍の声が重ねられる。
「あいつは恐らく…俺が知らねぇことまで知ってるはずだ。あの野郎は…色んな意味できな臭ぇからな。お前の知りたいことも俺なんかより知ってやがると思うぜ」
「お前は…手を貸してくれないのか」
 豪槍の瞳は、ただ否と言っていた。
 鋭く無言で自分を見つめる光に、陽子はそうかと頭を垂れる。自分の腕に乗る褐色の手に、豪槍は薄く目を細めた。正直言えば、俺も知らないことだらけだ。
「一つだけ…俺が肌で分かることを忠告してやる」
 豪槍は陽子と目を合わせようとしない。それでも自分の腕を掴んでいる陽子の手は、彼は振り払おうとはしなかった。陽子。

「この王宮中、敵だらけだと思え」

 俺も含めて。

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 外廊を鈴はひとり王の執務室を目指して歩いていた。
(待ってて清秀。もうすぐよ。もうすぐ貴方を殺した奴らに復讐できるから)
 心の中で、蜜柑色の髪の少年に語りかける。王宮でつかんだ情報を元に、鈴は陽子に軍を動かしてもらえるよう計らうつもりだった。ぐっと唇を噛み締めた時、その背中に声がかけられる。
「ごきげんナナメですねぇ。お嬢さん」
 驚いて振り向けば、ホホホホホホと高らかに笑う男がいた。鈴は目を瞬き、記憶の中の男の名を引っ張り出す。
「あんたは…帥文君…」
 はいそうですと男は目を見開いて不自然に口元を微笑ませたまま頷いた。
「こんにちは。はじめまして、お嬢さん」
鈴の瞳が鋭く眇められる。何の用。
「何がはじめましてよ…。貴方私のことずっとつけてたでしょ…?いきなり姿を現して、なんのつもり?」
 帥文君は――かわいくないですねぇと口端を上げた。
「気づかれていましたか」
「バカにしないで」
帥文君は表情を変えないまま首を傾げる。
「…それでは単刀直入に言わさせていただきましょうか。実はあなたの行おうとされているその復讐、やめていただきたく参上したのです」
「…なんですって?」
 表情を変えないまま、帥文君は顎を煽る。
「ぜーんぶお見通しなんですよぉ。貴方がこれからどこに行こうとしているのか。何をしようとしているのか。牙峰さんや昇紘さん、靖共さんのつながりに貴方気づかれたんでしょーう?たったそれだけのことを知っただけで、ご自身の復讐も兼ねて王様のところに行って軍を動かそうとしたってダメですよ?あなたの望みは叶いません。そもそも敵を叩く準備をまだ彼女はできていないでしょうし」
 唖然とした鈴は視線を尖らせる。
「な、何でそんなことまで知ってるのよ…あんた…一体何なの…?!」
 帥文君は肩をすくめる。

「あんたたち…一体何が目的なの?」

 帥文君の顔の中で影が揺れる。
「私の行動理由など逐一お伝えする義理はございませんな。どんな理由にせよ、とにかくあなたのように感情だけで突っ走られる方はもうただの爆弾ですからねぇろくなことがないんです。見てて苛々いたしますし、そういう泥臭いことはやめていただきたいんですよぉ」
 帥文君の吐く言葉はゆるやかに鋭くなっていく。
「あなたはまだまだ何もお知りになっていない。お一人で自爆されるならまだしも、もしその爆発に巻き込まれたらたまったものじゃないですからね。計画している何もかもが木っ端微塵です。ご友人の足ばかり引っ張っていないで、人の言葉に耳を傾ける器量くらい持ったらどうですかぁ?」
「…うるさい…!」
「あと大きなお世話かもしれませんが、貴方もう少し噛み付くことを抑える術を学んだ方がよろしいですよぉ?ひすてりっくで思い込みが激しい上にお体も貧相で起伏がないなんて方、一般的な世の男性の触手は伸びませんよ!まあ元々貴方は私にとって圏外ですからどうでもいいですが!ホホホホホこういうのを蓬莱では〝せくしゅあるはらすめんと〟と言うのでしょうか!!」
カッと羞恥と怒りで鈴の目の前が赤く染まった。
「うるさい!!!黙れ!!!あんたにそんなこと言われる筋合いはないわ!!!人を人とも思ってないあんたみたいな男が一番嫌いよ!!!!」
 鈴は自分よりも高い位置にある帥文君の顔を睨めつける。
 そもそもあんたたちは。

「国からはじかれた人たちの集まりなんでしょ?!あんたを見てたらそれも無理ないって分かるわ!!そんな人がどうしてこんなところにいるのよ?!あんたみたいな人がここにいてどうなるっていうの?!!消えたらいいのはあんたの方よ!!!!」

鈴はそのまま言い捨て駆け去っていった。残されたのは、一人佇む帥文君だけだ。
彼の手の平には、気づかれないうちに鈴の懐から掠め取ったあるものがあった。それを見つめながら、彼は苦笑いをするように小さくこぼした。

「本当に…かわいくないですねぇ」

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 探していた霖雪の姿を、人気のない回廊で見つけた陽子は足早に駆けていく。陽子が声をかける前に、珍しいことに振り向いた霖雪の方が声を上げた。
「…そろそろ来る頃だと…思っていた」
 思ってもみなかった霖雪の言葉に、え、と陽子は瞳を円にする。
「豪槍にこの国の秘密を探る手伝いをする頼みごとをしたが…断られたんだろう…?そして、俺の所に来るように言われた…違うか…」
「そ…そうだが」
 おののいたように陽子は呟く。まるでその場にいたように語る霖雪に陽子は驚いていた。なんて素早く情報を集めるんだ。天才という言葉を超えて、それは不思議なほどだった。
「お前…何でも知っててすごいな…。いつもどうやって情報を集めているんだ?」

 微かに霖雪の表情が揺れる。

 陽子は戸惑うように視線を揺らす。
「凄すぎて、言葉を失ってしまうよ。…お前は本当に不思議なやつだ。頭が良いのは確かなんだろうが、私は時々お前がそれ以外のものを持っているように感じる。こんなことを言うのは…おかしな話かもしれないが」
 霖雪は無言だった。
低い温度を孕んだ霖雪の顔が微かに揺れ、吹き抜けた風が彼の髪を揺らしていく。いや、おかしくなんかない…と霖雪は小さく呟いた。そして不意に霖雪は遠くへ視線を飛ばした。陽子は続ける。
「お前は前に地下水路で、お前だけに視えるものがあるということを話してくれたな。それは一体何なんだ?お前は一体、お前の目を通して何を視ている…?」
「知りたいのか?」
 霖雪は無表情のまま視線を流した。陽子の目が見開く。逡巡した影が流れた。


「俺には…死人(しびと)が見える」


 目の前の男の顔には影が巣食う。
「死んだものたちの想いを…彼らが知っていることを…俺は見えてしまう。死者が見ていた情報もそう。彼らすべての感情が、俺に対して筒抜けに流れてくるんだ」
 これが…お前の質問への答えだ。
「全てに興味を持てない俺が…涼梗や真真、経験を重ねたあの帥文君でさえも知りえないことまで知ることができる…理由の一つだ」
 突然の答えに頭がついていかない。かと思えば、死後世界以外興味を持てないと言っていた霖雪の声が蘇る。気がつけば唐突に言葉が口をついて出ていた。
「…その話…今まで信じてくれた人はいたのか…?」
「…一人。だがその一人も…もういない」
「霖雪、お前…」
 息がつまった。
 普通の人間だったら聞いた瞬間気味悪がることが簡単に想像できた。彼が言いたがらないことも理解できた。人から理解されないままたった一人で、彼は一体何人の死者の想いを見てきたのだろう。

 そしてそれは、どんな気持ちがするのだろう。

 無表情の奥に、彼はどんな想いを隠してきたのだろう。ここに来た理由を、何かを探すためだと端的に語った彼の言葉が蘇る。なぁ霖雪。お前は―――何をそんなに探しているんだ?豪槍たちは、どうして時折翳りのある顔をするんだ?

 霖雪、豪槍。お前たちは一体、何者なんだ?

 霖雪が陽子の前に顔を向ける。陽子の肩を、霖雪の手が強く掴んだ。今までの霖雪からは想像できない程、強い力に彼女は驚く。低い声がした。
「お前は…知りたいか?あの鈴という娘のそばに誰が見えるのか。この王宮にどんな見えざる者たちがいるのか。知りたいか?彼らの人生も、どんな名を持っていたかということも。彼らが何を感じているのかも」
 無表情な瞳が陽子を貫いた。
「お前が知りたいのなら、知る覚悟があるなら――教えてやる。この国に何が起きているのか、首謀者たちは誰なのか、俺たちが…」

 何者なのか。

 霖雪の薄荷色の瞳に、陽子の唖然とした姿が浮かんでいる。
「霖雪…お前は…お前たちは…」
 呟く陽子を前に、霖雪の無表情な顔に影が走る。
 風が駆ける。衣がなぶられる。霖雪の懐から、一枚の紙が取り出される。
 広げられた紙に描いてあったものに、陽子の瞳が見開いた。

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「はぁっ…はぁっ!」
 激しく、一人の少女が駆けてゆく。一人の男のへやへ向かって、霖雪から彼の知る秘密を受けた陽子が駆けてゆく。
辿り着いた扉をノックもせずに陽子は力任せに開け放てば、まるで彼女が来るのを待っていたかのようにひとりの男が驚きもせず振り向く。見慣れた顔。怜悧な涼やかな瞳。猛禽類を思い出させる鷲鼻気味の鼻。顔を伏せた陽子の口から、男の名前が絞り出される。
 
「どういうつもりだ…浩瀚」

 浩瀚は何も応えなかった。
 陽子は浩瀚に一枚の紙を突きつける。霖雪が陽子に見せた、堯天で回収したあの紙を。折り目の弱ったしわくちゃの紙に描かれていたのは、陽子とひとりの男の顔だった。
 広げた紙に書かれている言葉は、巧国の指名手配絵図。

似顔絵の下には、それぞれ 中嶋陽子、青辛桓魋 と名が記されている。

「堯天では、巧の犯罪者がいるともっぱらの噂になっていた。捕らえて巧に突き出した者には多額の報酬が出るそうだ。こんなことまでして私を捕らえようとしていた敵は…隣国の王塙王、靖共…そして…」
 陽子の鋭い瞳が、浩瀚を捉える。

「何故…お前まであいつらに加担した」

 浩瀚の表情は動かない。
ただ男の顔には、影が走っていた。


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