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 風が足元を撫でる。
 脇道に入り込んだ陽子は追われている気配がないことを確認してから腕を組んでいた手をほどき、被っていた薄布を取り去った。目の前に佇む麦色の髪をした長身の男性に陽子は微笑む。
「ここまで来たら、大丈夫だと思う。突然申し訳なかった。えっと貴方、名前は…」
 するりと男の瞳の虹彩が、目の淵に滑る。
「…霖雪」
「りんせつ?」
 どこかで聞いたことのある名だった。目を丸くする陽子に、霖雪は言葉を足す。
「…霖(ながあめ)と雪、で霖雪だ」
「そうか。私は陽子。太陽の陽に子どもの子で、陽子だ」
 にっと笑う陽子に霖雪はただ目を瞬く。陽子は頭を掻いた。
「さっきはありがとう。実は私…」
 言いかけた瞬間、男の声が割って入った。
「追われていたんだろう」
 え、と陽子の瞳が円になる。視線を広途の人混みに飛ばしながら、霖雪は続ける。
「…お前の後ろに…二人」
「二人…?!」
「一人は30間後ろ枝道に。大柄でよく日に焼けた筋肉質な体躯。もう一人はさらに20間後方。やせ型、小柄だが動作は俊敏。お前が気を抜いて俺に話しかけてきた時もお前を探していた」
 陽子は言葉を失う。もう一人いたなんて気がついていなかった。だが、自分の注意が行き届いていなかったことよりも、陽子が衝撃を受けたのは目の前にいる男の能力だった。
「な…何でそんなことまで分かって…」
「…観察しただけだ」
ポカンと陽子は霖雪を見つめた。たった、たったあの一瞬の間でそこまで?
砂煙が目の前を駆けて霞ませる。陽子の感情が表された表情と対照的な男の顔が光に冷たく霞んでいる。
冷たく整った顔に流れる眉、彫りの深さから目元には影が落ちている。感情の揺れも温度もまるで感じられない。見れば、見るほど――。

あまりにも静かで、この世の人間とは思えない男だった。

「何故追われているのか…心当たりは?」
「いや…それが私にも分からない。ここにはちょっと私的な調べ物があって来たんだが…今日私がここに来ることも私のことも、この界隈の人が知っている筈ないし…」
「…そうか」
 それにしても、と陽子は表情を輝かせた。
「すごいな」
 霖雪は目を瞬く。垂れた霖雪の手を陽子はぐっと掴んだ。
「普段は何をしているんだ?そう頭が良ければどこの仕事でも引っ張りだこだろう」
 微かに霖雪の表情に動きが走る。だが彼は陽子から目線を逸らした。
「別に…」
「?」
 きょとんとする陽子の表情を置いて、霖雪は顔を背けた。
「…もう、用は済んだ筈だ…。失礼する」
 そのまま霖雪は陽子に背を向けてその場から踵を返す。だが陽子の足音が寸分の遅れなく霖雪の足音に続く。もう振り返るのも面倒くさくなった霖雪が声を出す。
「…何故ついてくる」
「だって貴方のこと――――」
「…は?」
 耳元で言葉が流れる。だが言われた言葉の意味が分からず霖雪は思わず振り返った。その瞬間、ガッと霖雪の肩に彼を逃さないように陽子の腕が回る。思った以上に強い力に、上背があるながらも霖雪は吹っ飛びそうになった。
「迷惑はかけないよ。最初は一旦引こうかと思ったが、ここまで来たら何故私のことを追っているのか、徹底的に追っ手の元まで引きずり出してやるチャンスなんだ。それに…」
ぐっと無遠慮に引き寄せられ、もう一度先程と同じ言葉が耳元ではっきりと繰り返された。

「貴方のことなんだか気に入ったんだ」

ポカンとする霖雪とは対照的に、いいだろう?と笑う陽子の表情は久しぶりに獲物を見つけたように輝いていた。

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「…聞かないのか、私のこと?」
 正面から投げかけられた声に、霖雪は口に運びかけていた団子を止める。抑揚のない声で呟いた。
「…興味がない」
「あはは。そっか」
 少女陽子は座敷であぐらをかきなおしてからからと気にもしない笑みを浮かべた。
せっかく巻いた追っ手に見つからないためにも早く帰れと霖雪は言ったが、あの後陽子は霖雪の行くところ行くところについてきた。それは珍道中としか表現できないもので、最終的には喉が渇いたからお茶にしようと陽子の方が霖雪を捕まえて引きずり込む形でこの茶屋に腰を落ち着けた。
 無表情な霖雪とは対照的に陽子の表情は楽しそうに輝き、彼女の目の前には霖雪が食べ終えた本数の五倍は団子の串が重なっている。
 無理やり訳のわからないことに巻き込まれた霖雪はため息をつく。それが追われている人間の態度かとも思うが、陽子は気にもしていない。霖雪と行動を共にしながら、何かを調べているような素振りも見せていた。
(…こういった状況に慣れているのか)
霖雪と陽子の席を通りがかったおばちゃん店員が微笑ましいものを見るような目で見て、二人の席の茶を注ぎ直してくれた。礼を言う陽子に、彼女は声を弾ませた。
「それにしても、貴方さっきは凄かったわねぇ!見たわよ、絡んできたあの人数のゴロツキを叩きのめしちゃうなんて!」
「い、いやぁ…」
「最近慶国ではなんだか人が異様に増えたみたいだけど、ガラのよくない人まで来ちゃったみたいでねぇ!騒がれるとこっちも迷惑なのよ」
「慶国では異様に人が増えたんですか…?」
 ええと頷いた店員は、今度は変わって霖雪に向かって小声で囁く。
「それにしてもお姉さんあなた、頼もしいわよねぇ!将来も安泰よね!!」
「…?」
 顔だけを向けた霖雪に対し、おばちゃん店員は嬉しそうに口元を抑えて笑いをこらえる。
「んもう照れなくていいのよ!年下の彼氏なんて!あなたもお綺麗だけど、それでもこんなカッコイイ子が恋人じゃあ気が気でないでしょう?恋人が若い男の子なんて羨ましいわぁ~うふふふふふふ!!」
 無表情の霖雪の手のひらが頭痛を抑えるように額に当てられる。実は先程から陽子とともに行動していると霖雪に寄ってくる野郎が湧き出てくるようになった。絹のような長髪も手伝い、顔立ちは美しい霖雪は女人に見えなくもない。
霖雪を女だと勘違いした男たちが寄ってきて、それを男と勘違いされている陽子が叩きのめすという大変混沌(カオス)な出来事が繰り広げられていた。
 楽しそうに去っていくおばちゃん店員を尻目に、陽子は必死に笑いをこらえている。
「…すまない…くっ…ぷぷ…」
 全然謝っていない。
 霖雪の無粋な顔には益々渋みが広がり、彼は息をつく。笑いを収めた陽子はひらりと串を翻した。
「巻き込んでしまったな。それにしても、貴方国官だったなんて!おもしろいこともあるものだな」
興味がなさそうに、霖雪は流す。先程から話をして、陽子は彼がどこで働いているのか既に聞き出していた。よく見ればやはり彼は何かに似ていると陽子は思う。それがなんなのか陽子には分からなかったが。陽子は、心に浮かんだままの質問を、流れるように霖雪に向ける。
「それにしても、霖雪は何故国の官吏になろうと思ったんだ?」

 その瞬間、霖雪の動きが止まった。

「大事なものを――――探しているんだ」
陽子は目を瞬く。
「…大事なもの?」
彼は無言で首を振った。探しものは王宮にあるのだろうか。何でも情報を集められる彼でも見つけられないことがあるのか、と陽子は思った。
だが陽子が霖雪に話しかけようとした次の瞬間、霖雪の視線が背後に向かって鋭く研がれた。ゆっくりと、聞き取れるか聞き取れないかギリギリの大きさの声で霖雪は囁く。
「…茶の時間は終わりのようだ」
「何?」
「逃げる用意をしろ…何かがおかしい」
 その時になって辺りがこちらの動向を伺うように静かになっていることに、陽子も気がついた。
 人相の悪い者が、持っている紙を店員に見せている。
 それを見た瞬間、店員は口元を抑えてぎょっと陽子の方に視線を走らせる。
 それぞれの談笑を続けているようで、注意はこちらに払われている。何人かが、同じく手元の紙きれのような者に目を落とす仕草が見られた。
(これは…)
 益々何かがおかしい。慶国では異様に人が増えたというのも気がかりだ。この堯天で、そして自分に、何が起きている。
 陽子は荷物の中のものを取り出すふりをしながら、荷を手元に引き寄せる。霖雪の無表情な低い声が這う。
「恐らくこの店の立地なら…机案の敷物の下に…緊急避難用の脱出口がある筈だ。いつ出るかは…お前に任せる」

 霖雪が言い終わった瞬間には、机案が宙を舞っていた。

「?!!」
 完全に陽子たちの一挙一動を観察していた者たちは突然の行動に虚を突かれる。
 陽子は敷き布を剥がす時に意図的に腕を回し、周囲を覆い隠すように空中で走らせた。爆発するような音を立てて足で脱出口の扉を蹴り上げ、霖雪を掴んだ陽子は即座にできた穴に身を落とす。慌てて敷物ごと誰かの剣が空中を叩き切るが、もう二人の姿はなかった。
「クソッ逃げたぞ!!追え!!」
 人が一斉に陽子たちがいた場所に殺到する。
 だが床に作られていた脱出口に手をかけるが、そこはもう固く閉ざされ開く気配を見せなかった。

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陽子たちが通り抜けた脱出口は、地下水路へと続いていた。
 しばらく周囲に注意を払いながら歩いた二人は、人の気配がなくなってようやく歩く速度をゆるめる。
「ありがとう。助かった…。しかしあんなところに扉があるなんて知らなかった」
 陽子の言葉に、…別に。と抑揚のない声が続く。
「地下水路の上の店には、火災の時のために緊急避難用脱出口が地面に作られている。…それに逃げられたのは…ほとんどお前の力だ」
 陽子は苦笑いをする。料金は先払いしていたからいいものの、もうあの店にはいけないなと心の中で思った。
 霖雪は小さくつぶやく。
「それにしても、何故俺たちが通った扉から続く追っ手が来ないのかが気がかりだ…。塞ぐ時間はなかったはずなのに…」
実は陽子たちが通った後、彼女に唯一遁甲してついていたハンキョが扉を内側から塞いでいるのだが、さすがにそれは教える訳にはいかなかった。
「と、とにかく大丈夫だ。ここまでくればもう追っ手はこないよ」
 霖雪は無表情で陽子を見つめる。やがて息をついて、再び歩き始めた。

水路の天井を這っていた水滴が、耐え切れずに落ちていく音が聞こえる。
この地下水路は王都にも関わらず、長い間整備が行き届いていないようだった。カビの青臭い臭いがもわりと篭り、壁の所々に斑のコケが生えていた。壁に触れれば、湿っぽさが指先を濡らす。

 上空からは、緩やかな光の帯が足元の水路に向かって落ちていた。

 地上から漏れる光は大分弱いのだが、それがかえって地下水路を淡く青く幻想的に浮かび上がらせている。濃紺の色合いを醸し出す水路に、ざっくばらんに様々な大きさの光が撒かれているように見えた。
そんな光景の中をしばらく無言で歩いていた二人だが、不意に陽子が声をあげる。
「…霖雪って良い奴だな」
 無言で、前を歩いていた霖雪が振り返る。
「いや、こんなことに巻き込んでしまったのに、まだ怒りもせずに付き合ってくれてるから」
「…俺はそう思わない…。勝手な解釈はやめろ…。惰性で共に行動しているだけだ…。俺は…意思も感情もないと言われている」
 驚いて陽子は前を歩く霖雪を見つめる。規則的に、霖雪の後ろに垂らした長髪を上空から落ちた光の帯が撫でていく。彼の髪は陽子が昔被っていた白に近い麦わら帽子の色をしている。光の下を通りがかるたびに、彼の髪が透けるように光を通して、一層霖雪の背中の温度を低く見せていた。
「第一…最初に去ろうとした俺を逃がさなかったのはお前だろう…。今更何を言う…」
「ははっそうだったな、ごめん」
 そのまま、二人はしばらく無言で歩いた。陽子の方が、目の前の温度の低い背中に声をかける。
「実はさ…さっき霖雪が私について何も聞かなかった時、私ちょっと嬉しかったんだ」
 無言で目だけをこちらに向けた霖雪に、陽子は頭を搔く。
「最近、立場のせいでへこむことも多くて…何が正解なのかさっぱりわからなくて苦しかったんだ。ほんと…情けないけどさ。たくさんの感情に整理がつかなくて。自分の思ったままに、過ごすことができなくて溜め込んでしまって…。今日霖雪と過ごしていて少しだけうやむやを発散できた。本来の自分が出せた」
「…俺がお前を知らないからこそか」
 振り向きもせず言われた言葉に、陽子は淋しげに微笑んで頷く。
「はは、普通は逆だよね。でも私に興味を持たれていたら、きっとすぐに去らなくてはいけなかったと思う。だからよかった」
「…死後の世界のこと以外…俺はあまり興味をもったりしない…」
 目を丸くする。同時にその瞬間、陽子は彼が自分の記憶の中の何に似ているのかわかった。
 遠い昔に蓬莱の教科書で見た、天使の羽を持つ白いギリシア彫刻だ。遠い異国の地で神々や天使、勇者を象ったと言われる真っ白で綺麗な彫刻群。彼の顔立ちは中性的で、絵画の聖母のようでもあった。蓬莱の文化にいた陰陽師も彷彿とさせられる。絡まりあったたくさんの神秘的な要素を感じた。
(そうか…神秘的な文化と彼の雰囲気が似ているのか…)
だから常世離れしている、と思ったのか。でも彼の目は慈愛の天使が持つものとは程遠い。どこか呪術的で、悪霊や、悪魔の角と尻尾が似合う。彼の顔立ちと陽子の記憶がすぐに結びつかないのも当然だ。そもそもここまで表情が死んでいる天使はいない。
「ふっ」
「…?」
 思わず想像して笑ってしまった陽子に、霖雪は微かに首を傾げる。ごめん、なんでもないと陽子は手を振った。
精神世界の概念に関しては、あらゆる学問書に触れてきた陽子でも専門書にお目にかかったことはほとんどなかった。
「面白いな」
 反射的に、霖雪が驚いたように振り返った。陽子の穏やかな表情は変わらない。
「この世界ではあんまりそういうことに興味を示す風潮がないように感じたから…。目に見えない世界の概念…。私がこの世界で知る限りでは神々という観点だけだが、それでも天帝や主要な神々でも、あくまでも世界の成り立ちの起源としてシステム的な扱いを受けている程度だ。面白い。あなたが、新しい分野の開拓者になるのかもしれないね」
 何故か霖雪の表情が微かに歪んだ。本当に、読み取れない程微かに。薄荷色の瞳が揺れる。不意に彼は顔を背け、歩き出す。
「お前が二人目だ…」
「え?」
 何でもない。と彼は無機質に続けた。
「皆…気味悪がる。お前も…物好きな人間だ。俺に視えるものをお前に教えたら…お前だったら信じるかもしれないな…」
「?霖雪に視えるもの…?」
「いや…やっぱり…何でもない」
 陽子の声は地下水路を柔らかく反響していく。二人は足を進めていく。
 位置的には、ここはもう王都の中心部だろう。
 そろそろ地上に出よう、そう言いかけた陽子はいきなり立ち止まった霖雪の背に体ごとぶつかった。
「う!何だ霖雪。急に立ち止まるな」
 だが霖雪は何も言わなかった。
 怪訝そうに、陽子は彼の表情を後ろから覗き込む。だが相変わらず表情はなくて何も参考にならなかった。彼の目だけが、じっと先を見つめている。だが陽子が何かを言う前に、霖雪の唇が動いた。
「追っ手は、来ないんじゃなかったのか」
 霖雪の視線の先の闇が動いた。

陽子が声を出す間もなく、闇から先程陽子を追ってきた筋肉質な刺客が姿を表した。

(あいつはさっきの…!!)
 どん、と鈍い音を立てて砲弾のように男が陽子と霖雪に向かって突進してくる。
 陽子は咄嗟に霖雪を突き飛ばし、刺客の攻撃の射程範囲から外す。たたらを踏んで膝をついた霖雪が振り向いた時には、陽子と刺客の姿は地下水路から消えていた。彼が感じ取れたのは遠のいていく二つ分の足音の反響音と、上空から路の水路へと続く蓋が外れ強く差し込む光だけだった。
(上か…)
 霖雪は振り仰ぎ目を眇める。光が強くなったことで、彼は懐から一枚の紙切れを取り出した。先程茶屋で陽子が敷物を翻した時に巻き起こった風により霖雪の手元に飛んできた客たちが持っていた紙の一つだった。紙を広げた時、記されていたものに霖雪は微かに表情を動かす。だがしばらくその紙に書いてあることを見た後、彼はもう一度丁寧にそれを畳んで懐にしまった。しまいながら、思案する。
「…」
 陽子はどこへ逃げるつもりでいるのか。霖雪の頭の中に、瞬時に堯天の地図が描かれる。今頃彼女がどこを走っているのかも計算ではじき出される。このまま陽子が直感的に駆けて行ってしまってドツボにハマってしまいそうな場所が瞬時にいくつか浮かんでいた。まったく、迷惑はかけないのではなかったのか。
 霖雪は振り仰ぐ。
そもそも陽子が誰であるかなんて霖雪は興味もなかった。

ただ、陽子と交わした会話が、今日一日の彼女と過ごした感覚だけが反芻される。

自分と陽子は、興味もない間柄のはずだ。助ける義理など、もともとない。このまま水路をたどって王宮へ戻っても彼には関係のないことだ。
 だからこそ、霖雪はその瞬間の自分の行動の意味が説明できなかった。

 死人だと比喩される彼の手が、陽子が抜けていった地上に続く梯子へ伸ばされたことに。

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「待ちやがれ!!!」
 獣のような大きな男の声が響き渡る。先程広途で見かけた見慣れた人影を、豪槍は追っていた。
 笠を被ったその人影の足は速い。だが体力自慢の豪槍も引き離されずにその人影に続く。
 あの後すぐに見つけたその人物の後をつければ、彼は何やら調べ物をしているようだった。しばらく見つからないように追っていたが、相手も手練。豪槍が後をつけていることにすぐに気がついて引き離しにかかった。
 見失わないよう彼も全力で追い、今に至る。相手の背に向かって声を張った。
「てめぇ何をコソコソしてやがる!!!」
 もちろん相手は立ち止まる気配も見せない。豪槍は苛立って、追っている男の名前を叫んだ。
「待ちやがれ!!!―――――!!!!」

 笠を被った男が一瞬振り返る。見慣れた男の顔が振り返る。強い眼差しが豪槍を捕らえる。
一瞬だけ交錯した彼と豪槍の視線は次の瞬間には切れていた。
 豪槍が追う姿はあっという間に引き離され見えなくなる。
「クソ…」
 まだ速度を上げれば追いつけない速さじゃない。
 だが、豪槍が加速しようとしたその瞬間、突然脇の小路から目の前に人が一人吹き飛んできた。
「な?!!」
 反射的に豪槍は自分の方に飛んできた人影を抱きとめる。続いてこちらに走った殺気に、豪槍は背にしていた槍を抜き放ち、人を抱えたまま飛びじさった。筋肉質な手練の風格を持つ男が即座に切り込んでくるが、豪槍は槍を一周させ男の攻撃を弾き飛ばした。男の顔は隠れて見えない。豪槍の力量に今は不利と読んだのか、男はすぐに間合いをとってその場から消える。
「チッ…」
(何なんだ、いきなり…)
 おかげで追っていた人物には逃げられてしまった。豪槍はその時になってようやく、自分の腕の中の人物に目を落とす。

飛んできたのは、意識をなくしたひとりの赤い髪の少女だった。



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