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 それぞれが各々(おのおの)の時間を過ごしていく中、状況は刻々と変わっていく。
様々な出来事が偶然のように生まれ、思いもよらぬ所で出会っては、交錯を繰り返す。


 そしてそれは、金波宮の人々に様々な出来事が起こった後、少しの時間が流れ慶国の異変に気づくものが居ない中、陽子が不思議な本を見つけたその日、その時、同時刻。
 陽子の居る場所から遙かに離れた街頭の地面に轍を刻む馬車があった。彼らは先日の王の命により逆賊の捕獲、御宝の運送を目的と掲げる一旅の兵士たちだ。王宮、金波宮からここまでの道のりを遠路はるばるやってきた一行は、人里の手前で休息をとっていた。
 そんな中、休む兵士たちの間を縫うようにせわしなく動いて茶を配る一人の娘がいた。盆を片手に持った鈴は、ようやく最後の一つを手渡し空に向かって息をつく。
「疲れた…」
 呟いた声を拾った一人の兵士が、座り込んだ地面から鈴を見上げる。
「おうおう、鈴ちゃんお疲れさん。疲れたんなら俺の膝の上で休んでいくかい?」
「も〜、そんな事言って。ふざけないで頂戴! お昼には今日の目的地に着くのよ?」
「いいや、俺は大真面目だぜ?って いてぇ!」
 カラカラと笑っている最中に横からどつかれた。どついた仲間の兵士がニッと笑みを口元に浮かべ、鈴を見上げた。
「バーカ 狙ってるのはお前だけじゃねぇんだよ。この先も平和にやって行きたいんだったら、大人しく茶でも(すす)ってろ」
 どっと笑いがその周囲で沸き起こった。そりゃそうだ と何処かで声がした。呆れたように鈴は脱力して肩を竦める。
「ホント、人をからかうのが好きなんだから…」
 面倒見の良い鈴は兵士たちからの人気が高い。身近に感じられるその存在から、そして各々の好みが絡みあって鈴を狙っている輩は意外にも多いのだ。
 明らかに華やかな高嶺の花である祥瓊とはまた違い、野原に咲く花を求める水面下の激しい雄同士の戦いの事など本人は知る由もない。
 やいのやいのと血の気が多い雄は放っておくことにして、鈴は新しく湯を沸かし、湯のみに注ぐ。
甘い芳香を放つ茶を揺らしながら、鈴は一人の女性兵士に歩み寄った。
「あの…お茶が入りました」
 女はちらりと視線を投げてよこしただけだった。鈴は少し顔をしかめる。彼女の中であからさまな苦手意識が吹き出してくる。
(この人…苦手だわ…)
 新しく配属された軍を束ねる女将校。最近金波宮に上げられ、三狐に抜擢されながらも武官も努め、王に最も近い人間の一人だった。つい先日も延王への接待の担当を任されたのもこの女だったことが鈴の頭を過る。
 黒髪が滑らかに光るこの女兵士が鈴はどうも馴染めなかった。名は確か楓椿(ふうちん)だっただろうか。
「じゃあ、お茶、ここに置いておきますね」
 温かい湯のみを指から離して置き、そそくさと鈴はその場を立ち去ろうとする。背を向けた鈴の背中に小馬鹿にしたような声が投げかけられた。
「あんた、何も分かってないのね…」
「…え?」
 楓椿は小馬鹿にしたような顔で鈴を見ると、ふいとあらぬ方へ視線をずらした。その言葉の意味が分からず、鈴は困惑する。何が…何が分かってないのだろう。大事な事は全て把握しているつもりだ。自分の奥深くを探しても、其処は変わらず穏やかなままで、足りないものが分からず、鈴は戸惑う。
 何も…変わって無い…筈
 頭の中で、何か細い亀裂が駆け抜けた。鈴は自分の中でちぎり取られたような痕が残っている気がするのを否めない事に気づく。益々莫迦にしたような色を顔に出して、楓椿は首を傾けた。
 鈴はムッと口を開く。
「分かってないって何の事を言ってるんですか?ここまで来た理由ですか?そういう事なら、私はちゃんと分かってます!今からは狙われた主上の御宝の運送…」
 鈴が最後まで言い切る前に 違うわよ と女兵士楓椿は鼻で笑う。
「そんなことを言っているんじゃないわ。ここに来た理由なんてね。そんなの猿でも分かる。私は…実際今の王に興味もないの。宝を隠すことにも興味もないし、慶東国の民人が何人死ぬかなんて事にも興味が無い」
 照りつける光の下ですっかり水分が抜けきった土の表面には、微細な砂粒が吹き出していた。
 うっすらと細められた楓椿の黒い双眸に揺らぐ狂気を帯びた「何か」。
 重さを無くした砂粒が巻き上げられて、鈴と楓椿の間に紗を掛けて消えていく。
 じゃあ何のために…私はここに居ると思う?と唇の端を上げた女兵士に鈴は―猛烈な怖気が背筋を走ったのを感じた。
 何に対してもどうでも良さそうなその態度。
 だがその奥に何が溜まっているのか――その本質は誰にも分かる所では無かった。それが一番…この女の得体のしれなさを際立たせる物なのかもしれない。
 鈴は思わず足が後ろに下がったのを感じた。そのままたたらを踏むようにこの女兵士から数歩後退った。
 楓椿はそんなことなど気にもせず、気怠げで緩慢な動作で空高い青を振り仰ぎ、瞳を細めた。
女の唇が静かに動く。
 それはね。
「邪魔なクズを消す暇つぶしが出来そうだったから」
 髪紐から零れた幾筋かの黒髪が、風に攫われ静かに揺らぐ。
 女の目に揺れる静謐な狂気はどこか気怠い色を含む。益々上がる口端が何を意味するのかは分からない。

 赤い髪に緑の目、褐色の肌の年頃の少女

 楓椿は口の中で標的の特徴を呟いた。その声色に起伏も変化も、何も無い。
いつどこで、鼠に会えるのだろうか。狂気は静かに進行方向だけをひたと見つめる。

 木漏れ日がいたずらに輝く中、彼女が指で遊ぶ刀身だけが静かに閃いていた。
 
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