銀河鉄道の夜 |
空では、薄紫と、紅色、金色という華やかな色彩が折混ざり合いながら、藍色の夜の帳へと飲み込まれようとしていた。 風は夕暮れ、ほのかに甘い。ほとんどの人々がどこかほっとした表情で、一日の疲れをたたえて家路へと急ぐ。だけどそんな中、人波に逆らいながら、鈴は嬉しそうに、浩瀚に手を取られ、馬車へと乗り込む。 「こうするとレディーみたい!私、一度でいいからこういうことしてみたかったの…!誘ってくれてありがと、浩瀚様!」 鈴は淡い黄色のビロードのドレスに身を包んでいた。髪は結わえ、真珠を散らされている。ドレスの中心には繊細なレースの装飾が並び、胸元には絹で出来た淡いクリーム色のリボンが、とろんとたれている。踵の高いピンヒールの編み上げブーツを鳴らし、鈴はウキウキと、信じられなさそうにしきりにドレスの裾を見ていた。 「勝手について来たんだろう。連れとしてお前を連れて行くことになるとは思わなかった。私は危ないからやめろ、と何度も止めた筈だ」 だが鈴はそんな浩瀚のことなどおかましなしに、涼しい顔で小ぶりのレースの傘をたたみながら言う。 「あら、もし何か危ないことがあっても心配してないわ。だって浩瀚様がいるんだもの」 浩瀚は面食らったような表情を浮かべた。鈴は嬉しそうに続ける。 「知っている?噂の修羅はね、『風のように素早く悪者を成敗し、辻切りのあとは毛一つ残らぬ』そう言われているの。浩瀚様の武術はすごいって私知ってるんだから。修羅は正義の味方なの。そんな修羅が隣にいるんだもの。怖いものなんてないわ。何があっても、浩瀚様のその頭脳できっと桓魋や私たちを守ってくれるって信じてるわ」 浩瀚は肩をすくめる。ため息をつきながらも、馬車の車窓から移り変わる景色に夢中になっている鈴を見て、これほどまでに喜ぶとは思っていなかったから、これはこれでよしとしようかな、とその時思った。 馬車はゆるやかな丘の道を進んでいく。青紫に染まった景色の中、眼下には街の灯りが星のようにまたたいている。馬車が揺れるたび、景色が揺れる。汽笛の音のように、車輪が高い音を立てる。まるで星が輝く、宇宙の中を汽車で滑っていくようだった。道には既に轍の跡がいくつもあり、先客の数は多そうだった。 「わぁ…綺麗」 鈴のため息が聞こえる。 景観はまだ薄い光をたたえながらも、もう夕暮れのような力をなくしかけている。薄闇がおりはじめた景色の中、梅林館の周囲を円を描くように、ひときわ明るいランプの群が並べられ、強い光を添えて美しさを放っていた。 邸宅の前では、黒光りする馬車がいくつも止まっている。控える従者たちのその中で、既に先に到着していた桓魋が手を振っていた。短袴で長靴を履き、騎兵指揮刀を身につけている。普段はつけることのない、鈍く輝く金の勲章のバッヂ、剣帯や正装である軍服は、精悍なこの男に映えていた。 「浩瀚様!」 馬車から降りた浩瀚に、桓魋が駆け寄る。 「よくお似合いです。さすが浩瀚様は礼装も着こなされますね!いやぁ礼装してこなかったらどうしようかと…」 「桓魋お前私をなんだと思っているんだ」 浩瀚の手を支えにして馬車から降りた鈴が、桓魋を見て瞳を輝かせる。 「やだ、桓魋似合うじゃない!いつもその格好でいればいいのに!」 冗談じゃない、と桓魋は肩をすくめる。 「だがお前もよく似合ってるよ。いつもその格好でいればいいのに」 にやりと笑った桓魋に、いやよ、と鈴は片眉を跳ね上げた。 「私は着物派よ!このドレスは綺麗だけど、動きにくいじゃない!今だけよ!」 顔を見合わせて笑う二人。浩瀚が声をかけようとしたその時、背後から白樺伯爵の声がかけられた。 「浩瀚様!よくぞ…!よくぞお越しくださいました!」 さわさわと周囲の音が揺れる。 浩瀚だって? 本当に? あの名探偵 バクシュウコウ浩瀚 恒魋が浩瀚を見て、にやりと笑う。 「やっぱり有名人ですね、浩瀚様。燕尾服の襟を正してください。みんな見ていますよ」 浩瀚は片眉を跳ね上げて、肩をすくめただけだった。 正装した白樺伯爵が、浩瀚たちの前まできて、会釈する。 「よくぞお越しくださいました!さあさ、どうぞ中へ!」 足を踏み入れた大広間は、思わず周りを見渡してしまうほど、広く見事な造りだった。敷き詰められた、目が痛くなるような真紅のカーペットに、乳白色の石壁。アクセントを添える、所々から垂れ下がる金のタペストリー。振り仰げば、ドーム状の天井には大空と散るように飛ぶ赤ん坊の天使たちが描かれていた。 「わ…すごい!」 真っ白なテーブルクロスがひかれた円卓には、それぞれ、カモとフォアグラのパイ詰め石棺風、黒トリュフのソース、など耳馴染みのない仏国のご馳走がならぶ。右手では軍人の恒魋が底なしの胃袋であっという間に卓上の料理が減る。左手では、鈴が一品一品口に運ぶごとに、おいしい!と口にして大喜びだった。 晩餐会と称した夕食会は、何事もないまま後半に差し掛かり、場の雰囲気は随分と和んでいる。各テーブルを回っていた白樺伯爵が、浩瀚たちのテーブルにまで訪れた。 「浩瀚様!お楽しみいただけていますでしょうか」 浩瀚は涼やかに微笑む。 「えぇ、信じられないほどのもてなしです」 それはよかった、そうほがらかに白樺伯爵は笑った。 「時に浩瀚殿、今日の有島夫人のご様子はいかがでしたか」 会場の音が、急に静まり返ったような錯覚に陥った。 「少し…外に出ましょう」 浩瀚は伯爵と共に席を立つ。痩せ型と肥満型の対極的な男の背中は、あっという間に人混みの中に、紛れて消えた。 遠のいていく浩瀚の背を見送る桓魋に、背後から声がかけられた。 「桓魋」 振り返れば、そこにいたのは軍の上官だった。白樺伯爵程の家柄にもなれば、桓魋の将位よりも遥かに上の位の軍部の人間が招かれていてもおかしくはない。桓魋は慌てて立ち上がり、敬礼の仕草を作る。 「…挨拶は今はいい。今回この招待は断ろうと思っていたが、お前が浩瀚と共に招かれていることを知り、受けることにした。お前と私が話す機会など、ほとんどないからな。あの男が戻る前に、お前にどうしても話しておかなくてはならない件がある」 訳のわからない顔をする二人をよそに、男は鋭く底光りする瞳で、目の前の半獣の男を見据えた。 「修羅の件で、話がある」 ::::: 喧騒が、分厚い扉をまたぐだけで随分と遠のいた。涼しい夜風が、どこかの窓から舞い込んでくる。二人は壁沿いの階段まで足を伸ばす。その時、太くよくとおる、大きな声が響いた。 「伯爵様!ここにいらっしゃったのですね!住友様がお呼びで…」 「こら、お前は出てこなくていい!今別のお客様と…」 浩瀚はさっと手で制する。 「籠、お前は少し下がっていなさい」 たどたどしくお辞儀をすると、籠は少し離れた場所まで下がった。ほっと息をついた白樺伯爵は、浩瀚に向き直る。 「それで、有島夫人は…」 「まだ、何もわかりません。有島ご夫人は白樺伯爵に、ご心配ありがとうございます、と申されておりました」 そうですか、そう言った白樺伯爵は、肩を落とした。 「現場は検証してきました。なぜ、伯爵様は十年前の事件が、殺人事件だとお思いなのですか。先程は、有島家から帰ってきた時に、教えてくださると仰っていましたね」 白樺伯爵は口ごもる。 「…見たのです」 「見た?」 「あのそばには、由羅川という太い川が流れていますね。私は坊ちゃんが行方不明になった数日後、有島家から帰る道すがら…あそこで流されていく、坊ちゃんの体を見たのです」 「…なんですって?」 伯爵は、しきりに周囲を気にしていた。 「すぐに、従者たちが川に飛び込み、引き上げようと流される坊ちゃんの体を引き上げようとしました。だけど、手が届きそうな時、私は気がついたのです。背中を上にして浮いていた坊ちゃんの背中につけられた刺殺痕に。細い線のような深い傷跡からは、血が流れ出ていました。従者は怯んで悲鳴をあげ、それきり彼の体は、岩を噛む川の激流に流されていきました。そして…私は見たのです。深い森の奥、有島の坊ちゃんが、白い顔で佇んでこちらを見ているのを。姿はふっと消え、私はそれきり、動けませんでした…」 浩瀚は眉根を寄せる。 「浩瀚様は、修羅の噂についてはご存知ですか?」 「存じております」 鈴の嬉しそうな顔が脳裏をよぎる。浩瀚は白々とした気持ちでため息をついた。だが、伯爵は至って真剣な表情で腕をさすった。 「実は、最近ではこの屋敷でも見た、との噂があるのです。修羅は…化物です。人間じゃないんだ」 呟くように言った白樺伯爵は、ふっと自嘲気味な笑みを浮かべた。 「なぜ、今になってこの事件の捜査を依頼しているのか、とお思いですよね。坊ちゃんのことだけを純粋に思うのなら、もっと早くあなたのもとへ行っているのに。本当は…坊ちゃんのことが心配などというのは建前で、私は…修羅の噂が恐ろしいだけなのかもしれません。亡き坊ちゃんの亡霊じゃないかと思っているくらいなのですから。だからこうして今、罪滅ぼしのために、捜査を依頼しているのかもしれませんね」 薄く笑いながらも、その口元にはかれた笑みは、薄氷のように震えている。 凍りついたように、誰かの機嫌を伺うような怯えた声がした。 「一連の事件すべては…死人の輪舞なのかもしれません」 浩瀚は馬鹿らしいとばかりに息をつく。 「…そんな馬鹿な。そんな非論理的なものが、この世に存在するはずがない」 だけど白樺はうつむいたまま、何も言わなかった。浩瀚は片眉を跳ね上げる。 「死人が蘇ると、お思いなのですか?」 白樺伯爵の顔色は、悪かった。振り返った浩瀚は、ふっと薄暗い、意味深な笑みを浮かべて見せた。 「…ご安心ください。私が証明してみせましょう。解き明かせぬものなど、この世にはないのですから」 影が落ちる。 外から差し込む青白い月明かりが男の横顔を透かし、怜悧な輪郭は、青い燐光をたたえているようにも見えた。 静けさだけが満ちる空間の中で、浩瀚に表情はなかった。 白樺伯爵は、浩瀚の表情を見て、ぞっとしたように身を震わせた。 「そ、そうですな。それでは、他にもお客様がお待ちなので、これで失礼します。また明日の舞踏会、楽しみにしております。捜査の方、よろしくお願いいたしますよ」 そう言い残すと、白樺伯爵は人のよさそうな顔を申し訳なさそうにゆるめ、そそくさとその場を後にした。残されたのは浩瀚と、手持ち無沙汰に下げられた、用心棒の籠だけ。 視線を籠に戻した時には、浩瀚はいつもの浩瀚へと戻っていた。 浩瀚の表情の機微にも気がつかず、行き場のないようにつっ立っていた籠は、ぽりぽりと後ろ頭をかきながら、からりとした笑みを浮かべた。 「お話は終わったみたいですね。そういえば、ご存知ですか?噂では、今日はあの中嶋家のご令嬢もお見えらしいですよ」 どうぞこちらへ、そうにっと笑った籠は、浩瀚を手招きする。彼のあとについていけば小さな隠し階段があった。使用人用の通路なのだろう。登っていくと、小さな窓から大広間の様子が一望できた。 「ほら、あそこです」 鈴ともうひとり、紺青の緩やかな髪を結わえた美しい女性、桓魋。そしてもうひとり、浩瀚の脳裏に焼きついて離れなかったあの少女の姿があった。 僅かに癖のある、波打つ豊かな緋色の髪。少女のカーブを湛えた髪は光沢を放っていて、ランプの灯りに透けている。春をたたえた瞳は淡い光に濡れている。その光景は、バロック絵画のような、強烈な暗闇の中で激しい光が印象的となるような、そんな鮮烈な映像だった。 「待っ……」 だが浩瀚の制止も虚しく。 ちょうど鈴と紺青の髪の女性と別れた、あの赤髪の少女は、桓魋と共に談笑しながら、人波の中へと消えていった。 ありがとう、そう籠に口早に礼を言うと、浩瀚は珍しく我武者羅に後を追う。 (間に合ってくれ…!) だが燕尾服の襟をよらせて、飛び出した浩瀚の目に入ったのは陽子ではなく、ひとりの浮いた人物だった。 「君は…」 皆が正装で着飾る風景の中。 入口近くで、簡素な格好をした、ひとりの賢そうな書生の少年が、じっと浩瀚の方を見つめていた。 ::::: 桓魋は、赤髪の令嬢陽子と共に、夜の庭を散策していた。 「飲みすぎた?」 「あれだけ綺麗な女性に囲まれれば酒も進みます」 陽子の言葉に、にやりと恒魋はからかうような笑みを浮かべる。陽子もふっと微笑んだ。 「確かに、鈴という方も、祥瓊というお嬢さんもたいそうお美しい婦人だったな」 恒魋はうなずく。令嬢のひとり、祥瓊という娘はたいそう美しかった。美しいリネン生地で誂えられた、ブルーのドレスが鮮やかで、ついつい見ていたくなった。少し名残おしかったが、陽子がどうしても少し話したいといった以上仕方なかった。それにしても、と桓魋は前を楽しそうに歩く陽子に声を張る。 「浩瀚様とお知り合いだったんですね。せっかくだったら、話しかければ良かったのに」 良かったんですか、そう問うた桓魋に、陽子は振り返る。 「ちょうど忙しそうだったから。きっとまた話せる時が来るさ」 そう言って、少女はうーんと伸びをした。 「ここは色んな人間の思惑が渦巻いている。謎が謎を呼び、大事なことが見えなくなりそうだ」 桓魋は足を止める。初めて会ったばかりなのに、この少女も――――酷く惹かれるものがあった。 簡素にまとめられた波打つ緋色の髪。白のドレスは、控えめなのに、この少女から目を離せなくする。振り返った翡翠の瞳は、きっとここに招かれた娘たちを飾る、どの宝玉よりも美しい。 桓魋は呟く。 「…あなたも不思議な方だ。あなたを前にしていると、何故だか浩瀚様以上に、落ち着かない気分にさせられます」 瞳の底に宿る、射抜くような輝きは、胸の奥を突くような透明さをたたえていた。恒魋が覚えたそれは、どこか、浩瀚と初めて出会った時の感覚と似ているのかもしれない。 少女はきょとんとした表情を浮かべた。桓魋は苦笑する。 「晩餐会には戻らないのですか」 「晩餐会は本当は嫌いなんだ。まぁこれも名前ばかりでそこまで正式なものじゃないけどね。明日の舞踏会も、来るかどうか、迷っている。よく飽きもせず、みんなこんな西洋の猿真似みたいなことができるな」 「まぁそういわず、ぜひ、来てください。浩瀚様とお話できるやもしれません」 陽子は考えるように唇を尖らせた。 「こんな少女を、あんな危ない場所に戻るよう勧めるなんて、なかなか桓魋も悪い男だな」 「危ないですって?どこがです」 少女は、ふわりと微笑んだ。 「…ここは危ないじゃないか。あなたが本当は一番よく分かっているはず。様々な思惑が渦巻いている。あなたもそれを感じるだろう。白樺伯爵はたくさんの人間に命を狙われているからね。彼が踏み込もうとしている華族の世界は、中々に汚いよ…」 そう、思わない? 振り返れば、深く溶けるような闇の中で、開いた扉の奥に、明るく切り取られたような立食会の光景が、浮かび上がっていた。ランプの光に切り取られない闇は、二人を夜の帳の中へと隠す。 ねぇ、桓魋。 「さっき浩瀚様と白樺伯爵が抜けているとき、あなたも誰かと抜けていたみたいだけど…一体軍からどんな命令が下ったの?」 桓魋の動きが止まる。陽子は固まった横顔に、ただふんわりと微笑んだ。 「さっきまでと今のあなたじゃ、まるで別人みたいだよ。あの人は、軍の長官だよね。うちにもよく来るから、知っている。あなたは、上官に一体、何を言われたの。知ってはいけない何かを知ってしまった、そんな顔してる」 桓魋は何も応えなかったが、その横顔は静かだった。淡い夜の闇の中、宴会場から時折差し込む、場違いなほど明るい光が目を打つ。ゆるい闇の中で、斑の光が彼の顔をちらつく様は、その場の静寂を増した。 陽子の言葉に無言の返答をしているようでもあった。 ごめん、聞きすぎた。そう言った陽子は振り仰ぐ。 「何でもない会話をしよう。それにしても、人はなぜ、こんなふうに夜の時でも、明るく光を焚くんだろうね。私は、夜空に針でたくさんの穴を開けたようにこぼれる、星のまたたきの方が好きなのに」 桓魋はふっと微笑む。 「俺もそうですね」 「あなたも?」 「堅苦しい場所は、嫌いなんです」 にやりと桓魋は人の悪い笑みを浮かべる。 「好きなものは何ですか」 「星と本。恒魋はどう?」 「星は好きですが、本に関しては、からっきし。あとは綺麗な女性でしょうか」 今度は陽子が、にっとしたり顔笑みを浮かべた。 「じゃあこんなに綺麗な星の夜にぴったりの…本を絡めた質問をしよう」 いいですよ、と桓魋は腕まくりする。陽子はふっと振り仰いで目を閉じた。 アルコールラムプで走る汽車が、目の前を駆けていく。春の星だけじゃない。まぶたを閉じた、陽子の脳裏には、季節を越えてぶちまけられた、数え切れない星がまたたく。 じゃあ、そうくすりと笑った陽子は、歌うように言った。 「『大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう』」 「え?」 桓魋は思わず面食らって目をまたたいた。陽子はふふ、と笑う。 「実は、これは『銀河鉄道の夜』の冒頭部分なんだ。午后の授業でジョバンニの先生が出した問いかけ」 「ぎ、銀河鉄道?な、何ですか?それは…」 訳がわからないまま、動きを止める桓魋に、くすくすと笑いながら、陽子は急き立てる。 「ほら、銀河は何でできている?」 「…星、ですか…?星が寄せ集まって、広大なの川ようになっているんだ」 陽子は嬉しそうに、そうだな、と空を見上げる。まだ冬から切り替わったばかりの春の星座が、上空にはぶちまけられている。ビロードの上に銀砂をまいたようにも見えた。 「どんな広大な謎に見えても、結局は銀河のようにささやかな小さな星が寄せ集まってできているんだ。天の川を創る小さな星を、見落としちゃあダメだよお兄さん。あまりにも身近にありすぎると、星が全体を創っていることを忘れてしまうことも多々あるけれど」 「…どういうことです」 陽子は微笑む。 私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。 陽子の代わりに、そう頭の中で、ジョバンニの先生が言葉を返した。 少女は微笑む。なぁ桓魋。そう言った少女の瞳は、笑ってはいなかった。 「浩瀚様が、ここにいるのは事件が起こったからだろう。十年以上前の…有島子息失踪事件。時の絡む事件は、中々に魅力的だね。だけど、いくら周りの星が美しくても、浩瀚様を、カムパネルラにしちゃダメだよ。帰ってこなくなるその前に、あなたが彼を引き止めて。彼を守れるのは、あなただけなんだから」 桓魋は悟る。この少女は、自分にこの言葉を告げるために、ここへ呼んだのだと。 桓魋は眉根を寄せたまま、ゆっくりと口を開く。 「…あなたは、一体…」 少女は、もう何も応えない。 ただかすかに悲しげな表情は、春の星のまたたきに濡れていた。 |