エピローグ
ある男の独白



 子どもたちが遊んでいる。
影法師のように子どもたちの足元から伸びた影は揺らめきながら形を変えていく。
「父様母様!」
 小さな娘が、俺と陽子に向かって手振っている。あの奇跡から、何年が経ったのだろう。どうして彼女がなったのか、理由は府第の人間には首をかしげるばかりで何も知らない。ただひとつ確かなことは、一つの恋が、一つの命を招いたことだ。
 陽子と俺は生まれてきた娘に、蘭玉と名をつけた。休日の昼下がり、薄紅の花が舞い散る丘までぴくにっくにやってきた。遊んでいる相手の男の子は、青葉の子の春陽という。遠くで、年を重ねた青葉が笑った気配がした。
 ハメを外して転がるように遊ぶ蘭玉は案の定丘から転がり落ちそうになり、慌てたように佳佳が駆け寄ってくる。
「こら!蘭玉!」
佳佳はもう成人し、蘭佳と名を改めて陽子の見た目の年齢を超えていた。やっと捕まえたとばかりに佳佳が蘭玉を持ち上げれば、だって!と蘭玉は不服そうに高い声を上げる。
「最近ごーそーが遊んでくれないんだもん!」
「豪槍さんだって忙しいだろう。あんまり無理を言うな」
「じゃあ明日はりんせつの所に行ってべんきょー教えてもらう!」
「またお前は…!」
 再び佳佳の手から逃げ出し、両親の元まで一目散に駆けてきて花餅を手に取った娘に、陽子は含み笑いをしながら声をかける。
「よし蘭玉。そんなに言うなら明日母さんが堯天まで連れてってやろうか」
「ほんと?!母様が?!!」
やったー!と声をあげて娘は大喜びで陽が落ち始め、一番強く輝く時間の中に帰っていく。影法師が長く揺れる。心の底から娘を愛している。ささやかな瞬間に、泡のように心が浮かぶ。だけど今、俺が見つめるのは娘ではなく、彼女の母親の方だった。
 金色の光を表情に溶かす、陽子の方だった。
「桓魋?どうしたの?」
 振り向く輪郭を金で縁取る彼女に、何故か胸が詰まった。
「いや…」
 お前を見ていると、様々な記憶が押し寄せてくる。お前は俺の、すべてだから…そんなことを言うと、お前は笑うかもしれないな。
なぁ陽子。お前は最初、変わりゆくことを嫌がったな。だけど。
世界は変わる。時代は変わる。人は、変わる。

慶は変わる。

 嘆きから離れ、皆で手を取り合う方へと慶は舵を切った。変えたのはお前だ。刹那の中での人の営みが、まるであるもののようだと俺は思う。

 花だ。

花の色の移り変わりは暮れていく空のように、言葉で捕まえて表す暇なんて待ってはくれない。すべての色が折り重なって新たな言葉にできない色になる。人の生もよく似ている。
陽子、知っているか。
浩瀚様の一件が終わったら、俺がお前に告白をしようとしていたことを。
本当はもうずっと前から、俺はお前に惚れていたことを。
お前はしきりに俺に追いつこうとしていたな。時に年の離れた俺においていかないでと泣いていたな。だけど本当は。

変わりゆくのはお前の方だったんだ。

 お前の瞳に浮かぶ表情が移り変わっていく度に、焦ってお前を追いかけていたのは俺の方だったんだ。行かないでくれと追いすがっていた。だけど。俺はきっと本当は最初から気がついていたんだ。目を合わせるたびに、今までの全てのお前がそこにいることを。そして同時に―――。


 そこに新しいお前がいることを。 


「桓魋」

 ただただ日差しが美しい。だけど近づいてくる陽子は、俺にとってはもっと眩しい。
かつての幼い頃の面影と今と重なる。ふりそそぐ黄金と翡翠と花びらが溶ける。





 陽子、お前の瞳は――刹那を重ねた色をしている。





fin.



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