ふわり、と鼻に溶けるような甘い香りが漂ってくる。
なんだろうと思って振り返えれば、露台の店頭に色とりどりに飾られた飴細工が、飾り物のように並べられていた。
「お、なんだ。飴細工か」
隣で歩いていた友人が、夕暉が夜店に足を止めていることに気がつき顔を覗かせる。なんだ、食いたいのか?と聞かれる声に、ただ匂いにつられて足を止めただけだとも言えず、夕暉は曖昧に微笑んだ。
「にしても綺麗なもんだな。俺もガキの頃ねだって買ってもらったことがあるが、それでも結局食えずにダメにしちまったな。あんまり綺麗で、なんか食っちまうの勿体なくて」
 からからと笑う友人の声を聞きながら、飴細工に目を落とせば、確かに美しい造形をしている。とろりとした艶が浮いていて、宝石のようにも見えた。透き通った色とりどりの飴が露台の灯りで黄金に透けて、それが飴細工をより幻想的に見せているのかもしれない。
「確かに…これを食べちゃうのは勿体無い気がするね」
「だろ~?」
「うん、ありがとう。立ち止まっちゃったね。行こうか」
「買わなくていいのか?」
見てくれ的にも、もう飴を買う年でもない。綺麗だなとは思ったが、そこまで飴細工にも興味はなかった。
だが、うんと言いかけた去り際でふと一つの飴細工が目に入った。なぜかそれだけが目にとまり、夕暉は動きをとめる。

 ひゅっと筆で描いたように飴の尾が伸びた鳥だった。

ちょんと穂先で色を乗せられただけの深い色の目がこちらを見つめる。とろけるような艶を持つ小ぶりな嘴が、買ってくれとばかりに光っている。その時、買うつもりなんてなかったのに無性にその鳥が欲しくなった。少し恥ずかしさを覚え照れながらも、夕暉は友人を振り返る。
「…やっぱり、買おうかな」
「お!買っとけ買っとけ」
 指先を伸ばし、軸を掴んでその飴細工を手に取る。飴がさっきとは違う角度からの光を受け、複雑な色合いで輝いた。
「すいません、これ一つください」
 財布の3枚の小銭と引き換えに、飴の鳥は夕暉の元へとやってきた。


 手の中に握った棒が捻られ、くるりと飴細工の尾羽が夕暉の手の中で嬉しそうに翻る。無意識に楽しそうにしていたのが顔に出たのだろうか、友人がおもしろそうに横目で夕暉を見ながら、飴の鳥を指差した。
「それにしても、そいつなんかお前に似てるな」
「え?」
「ほら、そいつの顔よく見てみろよ。ちびっちゃいくせに賢そうな顔してんじゃないか」
つい目があった飴細工の顔に、思わず夕暉は吹き出す。
「それにこの雰囲気の癖に飛んだら矢みたいに素早く、鋭く飛びそうだ。お前が鳥になったら多分こんな感じだな」
「ははっまさか」
「いーや似合う似合う。面白いな、類は友を呼ぶっつうのはほんとうだな!」
 笑われながら、少し照れながら、夕暉はもう一度飴細工の鳥に目を落とす。浅葱色の翼に、黄色の嘴。胸元には彼の目と同じ色の透き通った水色と、黄金色が散っている。
 賢そうだ、と揶揄された点で表現されただけの目と、再び目があった気がした。


最近、ふとしたことで陽子のことを思い出す。
座学の時間。剣技の授業。夕暉に寄ってくる女子たちの会話の中で。とりとめのないことを考えているときにもぽっと頭の中に彼女のことが浮かぶようになっていることを、夕暉は気がついていない。
「夕暉くん、夕暉くんたら!」
呼びかけられた声によって現実に引き戻される。見れば、最近よく夕暉に絡んでくる女子が彼の隣に座っていた。そういえば授業が始まる前に、隣座ってもいい?と聞かれた記憶が曖昧に蘇る。彼女が夕暉に詰め寄った。
「もう、全然聞いてないでしょ?」
「ごめんね。えっと、なんだったっけ?」
彼女の目が輝く。あ、この目は色恋沙汰に関した質問が来る、と直感的に賢い彼は悟った。
「だーかーら!夕暉くんの好みの女性ってどんな感じ?」
 あーやっぱり。
微笑みながら質問内容を頭の中で反芻し、とりあえず思いついた単語を羅列する。
「優しくて女性らしくて、おしとやかな人…かな?」
ぱっと口をついて出た答えに、まあまあ彼は納得した。急場をしのぐために言ったが、あながち間違いではない。確かに自分の好みはこんな人だな、と言った後で思う。というより、大体の男はこういう答えをするんじゃないか、と夕暉は思った。
彼女はむくれて唇を尖らせる。
「なにそれつまんない、全然普通の答えじゃない!」
「はは、そうかな?」
 夕暉は女の子たちに人気がある。
 柔らかな物腰と、女性のような淡麗な顔立ち、少学でも飛びぬけた成績で王宮の官吏になることがもはや確定的な彼は女子たちにとったら早々と捕まえておきたい優良物件だろう。目の前の勝気で情熱的な女らしさを売りにした彼女も、夕暉狙いであることは確実だ。
「ねぇ夕暉くん。今日の夕飯一緒に食べない?」
「ごめんね。今日はちょっと無理なんだ」
「えー!先約あるの?!」
「うん。知り合いの人が、今日の晩こっちに遊びに来るから…」
 穏便に断りながら、夕暉は苦笑いする。何日も前から様々な人に誘われていたが、どれも夕暉は断っていた。だって。

 ―――今日は戦友でもあり、この国の王である陽子がお忍びで遊びに来る日だった。


 窓の外を見つめる飴細工の鳥は、待ち人を待つように遠景を見つめているようだった。
 陽子は、まだ来ない。予定していた時間よりも遅れているが、おそらくなかなか王宮を抜け出すことができないのだろう。王である以上当たり前だ。
房間に戻った夕暉は窓際に立てておいた飴細工に手を伸ばす。飴細工は夜の月明かりにに濡れ、屋台にいたときとは違った静謐な透明感を出していた。窓の外を向くように置いていた飴細工は、窓を開けば本当に鳥のように飛んでいってしまいそうだった。
 この鳥が、自分に似ているという友人の言葉をその時思い出す。
(そんなに似てるかな…)
じっと鳥とにらめっこをしていても、鳥は優しげな顔立ちの上に賢そうな表情を固めているだけだった。思わず苦笑する。
(ほんとはこれは、陽子さんに似合うと思って買ったんだけどな)
 くるりと指先で軸をよじれば、しなやかな飴の尾が翻った。この鳥が目に入った時、なぜかこれを手に持っている陽子が浮かんだ。この鳥が軸から飛び立って、彼女の周りを飛んでいるような光景が見えた気がした。頭に浮かんだその光景はとても綺麗で、ずっと見ていたくて―――そう思った時、彼はたまらずこの鳥を買っていた。
 それにしても何で思い浮かんだのは陽子なんだろう、と彼は首をひねる。陽子は真面目で男前で、宝石よりも身軽さを求める女性だ。
思わず陽子を思い出して微笑んだその時、窓ガラスが軋むような音を立てる。すぐさま振り向けば、そこには風に乗ってこちらに舞い降りてくる陽子の姿が見えた。こちらに向かって大きく手を振っている。夕暉は慌てて窓ガラスを開け放った。
「ごめん、遅くなった」
 ふわりと騎獣に乗って房間に降りた陽子に、夕暉は微笑む。
「お久しぶりです、陽子さん」
「うん。会えて嬉しいよ。もうちょっと早く切り上げられたらなぁ」
頭を搔く陽子に、夕暉は榻を引いて席をすすめる。
「やっぱり政務はお忙しいみたいですね」
「はは。少し、ね。今日はもっと早く来れたら、夕暉の受けている授業も覗けたかもしれなかったのになぁ!誰かさんがうるさく言うせいだ」
「誰かさんっていうのは…台輔のことですか?」
「ご名答」
目を合わせて、どちらからともなく笑った。

陽子は夕暉の少学での話をずっと聞きたかったらしく、その日は二人で夕食をとりながらたくさんのことを話した。途中でたわいもない話で笑ったり、お互いの近況を報告したり、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。出したお茶も話に夢中になるあまりに飲もうとした時には湯気が消えているありさまだった。
 夕食も食べ終わった時、陽子は少しさみしそうな顔をして榻を引いた。
「…もう、帰らなくちゃならない時間だ」
 夕暉の動きが止まる。なぜだか焦りにも似た感情が湧いて、思わず彼は立ち上がっていた。
「待って」
 口からついて出た言葉は、もはや反射だった。言ってしまって、あ、と口をつぐむ。引き止める理由なんてもとからなかった。慌てて目を泳がせれば、きょとんとこちらを振り返る陽子とともに、その時窓際に立てておいておいた飴細工の鳥が目に入る。
手を伸ばしてそっと窓際のその鳥を陽子に差し出した。
「あの…これ、よかったら持って行ってください。昨日出かけ先で寄った屋台で買ったものなんですけど、なんだか陽子さんに似合いそうだなって思って…」
「私に?」
 陽子の指先が夕暉の指から鳥をすくい取る。親指と人差し指で挟んで軸を依るようにひねれば、鳥はくるりと円を描く。陽子の顔が、目に見えて嬉しそうに輝いた。
「…ありがとう」
 陽子のお礼の言葉もおざなりに、夕暉は鳥を持つ彼女に見とれてしまっていた。
 美しく光を透かして輝く鳥は、まるで陽子の手に止まっているようだった。自分が思い描いたよりもずっと美しい絵だった。

 だが次の瞬間、じっと面白そうに鳥を見つめていた陽子が――その鳥をぱくりと口に含んだ。

「?!!」
「結構大きいな、これ」
陽子の声など吹っ飛んで、夕暉は思わず驚いて声を出しそうになる。だが、よく考えてみれば自分があげたのは飴で、食べるのは当たり前だ。しかもこれから王宮に帰るのにこんな飴の鳥は持ち帰るのに邪魔だ。騎獣に乗るのに両手も使えないし、自分でも逆の立場だったら同じことをする。何でもないことのはずだ。何でもないことのはずだ。それなのに。
 夕暉は――その光景から目を離すことができなかった。

 だって…自分のようだと比喩された飴の鳥が、陽子の口の中で溶けていく。

 あのなめらかな飴の尾羽が、陽子の口に収まりきらずにはみ出てゆらゆら揺れる。唇が、飴で濡らされる。陽子の唇に挟まれて、とろりと溶けて小さくなっていく飴の鳥の姿が見えた。その瞬間。

ずくん、という自分でも感じたことのない強い疼きを体の奥底に感じてしまった。

「あ…」
 陽子の舌が、羽が、息が、嘴が、声が。全てがひとつに、合わさって。目に見えて、見えないところで、小さくなって溶けて消えて。見てもいいはずなのに――見てはいけない。だってこんな気持ちを抱いてしまった時点で―――。

ぞくぞくする。

思わず夕暉は後ずさる。うん、うまい。と陽子は屈託なく笑う。ごくん、と飲み込み無造作に唇を拭った。
「ごちそうさま」
 おいしかった、ありがとうという言葉はもはや夕暉には届いていなかった。
「じゃあね、夕暉。久しぶりに会えてよかった。また遊びに来るよ」
 陽子は笑う。そして呼び出した騎獣にまたがり、さっそうとその場をあとにする。
 あの鳥が自分に似ていると言った友人の言葉が何回も頭の中で繰り返される。あの時は自分でも、彼に言われたからこそそう感じたのだと思っていたが、違う。
 本当は夕暉は一目見たときに、彼に言われる前からあの鳥が自分に似ていることに気がついていた。そしてそれを持っている陽子を想像してしまったのだ。


あの鳥を、陽子のそばに置いておきたいと思ってしまったのだ。


最近、ふとしたことで陽子のことを思い出す。
座学の時間。剣技の授業。夕暉に寄ってくる女子たちの会話の中で。とりとめのないことを考えているときにもぽっと頭の中に彼女のことが浮かぶようになっていることの意味を、気がつかないほど夕暉は愚鈍ではない。
『夕暉くんの好みの女性ってどんな感じ?』
『優しくて女性らしくて、おしとやかな人…かな?』
 そんなもの――――――恋の前には、何一つとして、あてにならない。
「あ…」
顔を真っ赤に染めて、夕暉はその場に立ち尽くす。気がついてしまったこの気持ちを、どうすればいいのだろう。目を泳がせて窓際を見ても、すました鳥はもういない。
口元を抑えて夕暉は崩れるように座り込む。陽子はいない。この気持ちを自覚する前の自分もいない。


夜に残るのは――たったひとつの、熱、だけだ。








まめっこ様より、リクエスト作品です。内容は夕暉→陽子ということだったのでこういう形にさせていただいたのですが…しまった細かい設定見直してみたらまめっこさんの要望大人夕暉のお話ってなってる!(ぎゃあ!)浮かんだままに書いたら気がついたら大人になる段階の夕暉書いちゃいました(^p^)またリベンジで他国を絡めた甘い夕陽か浩陽書きたいです笑 まめっこ様のみお持ち帰り可です!
リクエストありがとうございました!