月と風と太陽と


「主上、私の話を聞いておられますか?まったく何度言えばお分かり頂けるのですか!あれ程金波宮から抜け出すのはおやめ下さいと固く申し上げたはずなのに!」
「わ、悪い・・・聞いてるってば」
 ゆるりと真紅の髪を結わえた少女が肩を竦める。
ちらちらと視線を泳がせ助けを探すが、顔を見つけた途端皆そ知らぬ顔で視線を外す。この麒麟は大事な時はさっぱり言葉が足りないくせにこういう時だけ舌に油を差したように雄弁になるのだ。
 普段の無口は何処へ行くのか、ガミガミと言われながらいつも言われている当人が呆れてしまう。
 今までしゃべり足りなかったとでも言う風に無制限な説教地獄が待っているのだ。
 こういう場合は謝った者勝ちだ。
「悪かったって!今度暁天に降りる時はちゃんとお前も連れて行くから、な?」
 そういうことでは・・と景麒がどこか不満げに口を開くが明らかに舌の滑りが悪くなる。陽子はパンと両手を合わせ、自分より上にある顔をじっと視線だけで見つめて懇願する。
 深い新緑の瞳が紫陽花色の瞳を捕える。あわてて彼は視線を外した。
「は、反省されているのならば・・良いのです。」
 ぎこちなく言葉の出が悪くなっていく。
 頭から出ていた角を引っ込めた半身を見て陽子はふふと笑った。
「すまない、景麒。」
前を向き自分の隣を機嫌よく歩く主を景麒は少し恨めし気にみる。
事件に巻き込まれるのも一度や二度ではないのだから、頼むから大人しくしていて欲しいのに。そんなことを気にせず陽子は笑うのだ。
景麒を焦がすこの国の王は。


「景麒・・・」
 最初に自分がこの国の王として選んだのは月のような人だった。淡く脆く儚げな人だった。
 慎ましやかな幸せをただ望む月だった。
 選んだのは麒麟である自分だ。あの人を月というのなら、自分は何といえばいいのだろう。
 玉座を運ぶ風とでも当てはめればいいのだろうか。優しく夜の闇を照らす力を持っていたのに、国を治める力を持っていたはずなのに、月はそれを嫌がり夜を駆ける風を求めた。
 闇は濃くなって、野は枯れて水は濁る。
 それでも月は風を探して、風だけを照らそうと躍起になった。

 月は風に恋をした。

 やがて照らされなくなってしまった世界に毒され風は病んで・・・月は沈んだ。新しい主を探して、夜から解放された風は駆ける。
 異国の地で新しく出会った淡く脆い光を見たときは またか と思った。
 新たな願い下げの主だった。
 だが空に浮かべてみて仰ぐと、浮かんでいたのは月ではなく太陽だった。夜に凍えた人々を照らす太陽だった。
 迷いながらもまっすぐ澄んだ光を放つ太陽だった。

 風は太陽に恋をした。

 太陽が何もかもを暖かく照らす時も風は太陽に寄り添おうと躍起になる。

 太陽の光で温められた風は何処へ行けば良いのだろうか。

「景麒?」
 少女が小首を傾げて振り返る。いえ、と答えて青年が追いかける。
 どうか、無茶をなさらないで下さい。
 私の前から消えないでください。
 あなたがいてくださるだけで私は幸せなのですから。

 弱く伸ばされた手は主の手に触れるか触れないかの所でそっと動きを止めた。